三宅奨学会は、広島県山県郡北広島町川戸出身の実業家であった故三宅 勇が、郷里の英才の大学進学を援助し人材を育てて郷土の発展に寄与したいと、1968年4月、私財を投じて設立した財団法人です。
その後、法人法の改正により平成26年4月広島県認可の公益財団法人として継続認可され、奨学生OBが中心となり奨学活動を続けています。
創立者は広島師範学校を卒業し、今の北広島町壬生小学校で教鞭をとったあと23歳で上京、夜学の教師などをしながら独力で東京商科大学(現一橋大)を卒業し、実業界に入った苦学力行の人でした。奨学会を設立したのも、こうした若いころの苦労が動機でした。「三宅勇三」のペンネームで随筆家としても知られていた故人は、その数多い著書の中で、たびたび青年時代の思い出や故郷への深い愛着を語っており、「奨学会は若いころから学資に苦労した私の真心を、年来の希望によって実現したものだ」などと述べています。
三宅奨学会は、このような故人の志をついで、創立以来、地元の英才の大学進学を支援することを目標に、芸北・石南地方の高等学校の希望者とOBならびに役員を中心に推薦をお願いし、毎年優秀な学生を選んで、奨学金貸与を続けてきました。この貸与金は、卒業後の10年間で分割返済していただき、そのまま後輩奨学生への貸与金の資金にあてています。最初は創立者が寄付したお金を基金に、その後は社会人になった先輩奨学生の返済金で後輩への奨学金をまかなって行くという形で、長くこの郷土の人材育成制度を運営していける仕組みになっています。
三宅奨学会は創立者の遺志に基づき、地域の人材を育てるという明確な目標のもとに、地元の指導的な方々の暖かい協力をいただきながら、地域に密着した活動をしてきました。現在役員は本会で育った奨学生のOBが理事や評議員として運営しているという点で、ユニークな特色を持つ奨学会です。奨学生として育った方々が大学卒業後に地元の教育界や自治体、団体などで活躍しておられるのも本会の特色です。こうして郷土の奨学制度として定着、発展しています。
創立者三宅勇先生
三宅浩之先生(中央)
故三宅勇先生は、現在の北広島町川戸のご出身である。当時の川迫村の村長であった三宅賢三郎氏の六男として生まれ、村で小学校を終えて、広島県師範学校に進まれた。卒業後、2年間壬生尋常高等小学校の教壇に立たれたが先生は生来自由の人であり、当時の教育の姿に満足できず、志を立てて上京。苦学して東京商科大学(現一橋大学)に進み、会計学・監査学を学ばれて、34歳で同大学を卒業し、麒麟麦酒株式会社に就職された。当時は一地方企業に過ぎなかった同社が。その後驚異的な発展をとげ、世界企業のランクに入るに至ったのは、40年にわたって経理と監査を担当された先生の手腕による所が大きいと聞いている。
先生はこのように教育界から転じて、経済活動で力を発揮されたのであるが、心の中ではいつも教育への強い関心と郷土愛を持ち続けておられ、キリン社の重役勇退と同時に、退職金全額を寄付し、旧千代田町を中心とする地元の方々の協力を得ながら、財団法人三宅奨学会を設立された。以後、先生は毎年多額の私財を寄付して奨学会の経済的基盤の確立を計るとともに、昭和53年には奨学会の精神的拠点として、現在の北広島町有田に1400坪の土地を購入、「修験の森」(しゅげんのもり)と名付けて奨学会に寄付された。この森には、当時の奨学生などの協力で、梅や桜など数百本の苗木が植えられた。現在では、春がくると一面の花の山になる。ここにはまた、三宅先生の胸像や郷土の先達の記念碑なども建てられている。
先生は昭和59年7月、東京の自宅で91歳の高齢で逝去され、その夏「修験の森」の胸像の前で、奨学生や地元の方々など多数が集まって追悼式が行われた。創立17回の研修会が行われた夏であり、この時までの奨学生はすでに300人に達していた。
奨学会はその後、先生の御長男である三宅浩之先生が理事長を引き継がれた。三宅浩之先生は、慶応大学病院の医師でいらっしゃったが、その後日本医薬情報センターの初代理事長に就任された。先生は、全ての薬の効能・副作用・用法等をデータにし、コンピューターで検索可能として医療従事者に提供するという大事業を興され、大変に多忙であったにもかかわらず、父上と同様に私財を投じ続け、自ら送金・集金などの実務も行って奨学会を運営されたが、平成24年高齢の故引退され、奨学生OBの役員たちが引き継いで公益財団法人に改組して奨学活動を続けることになった。
三宅浩之先生も平成29年2月、奨学会の事務所を兼ねた東京のご自宅で88歳でなくなられた
今、卒業した奨学生は604名に及び、奨学生出身者は、郷土をはじめ全国各所でめざましい活躍をしている。この様子を亡き勇先生、浩之先生がご覧になれば、さぞお喜びになることだろう。
| 名称 | 公益財団法人 三宅奨学会 |
|---|---|
| 所在地 | 〒731-2103広島県山県郡北広島町新庄2693-2 |
| 電話 | 0826-82-2815 |
| 理事長 | 久枝 直(第1回奨学生) |
| 理事 | 大倉 眞一(第4回奨学生) 広森 大造(第9回奨学生) 前重 昌敬(第10回奨学生) |
| 監事 | 輪田 孔俊(第7回奨学生) 浅黄 隆文(第10回奨学生) |
| 評議員 | 西原 信幸 佐柄 正春(第4回奨学生) 天玉 朝子(第7回奨学生) 三宅 克江(第18回奨学生) 伊藤 淳(第39回奨学生) |
| 1968年(昭和43年)4月 | 財団法人三宅奨学会設立 理事長三宅勇 |
|---|---|
| 1968年(昭和43年)7月 | 文科省所管:財団法人三宅奨学会認可 |
| 1970年(昭和45年)4月 | 推薦依頼校に千代田・新庄に矢上高校を追加 |
| 1972年(昭和47年)4月 | 推薦依頼校に加計高校を追加 |
| 1973年(昭和48年)4月 | 推薦依頼校に吉田高校を追加 |
| 1974年(昭和49年)4月 | 貸与金額を1.2万円と1万円に増額 |
| 1977年(昭和52年)4月 | 貸与金額を1.5万円と1.2万円に増額 |
| 1979年(昭和54年)11月 | 三宅奨学会「修験の森」建設 |
| 1980年(昭和55年)5月 | 三宅勇氏胸像序幕 |
| 1982年(昭和57年)4月 | 貸与金額を1.8万円と1.5万円に増額 |
| 1984年(昭和59年)4月 | 三宅浩之氏副理事長に就任 |
| 1984年(昭和59年)7月 | 三宅勇氏逝去 三宅浩之氏理事長就任 |
| 1984年(昭和59年)8月 | 三宅勇氏追悼会(於:修験の森) |
| 1985年(昭和60年)4月 | 三宅奨学会友の会設立 |
| 1985年(昭和60年)4月 | 返還年数を20年から原則10年に短縮 |
| 1985年(昭和60年)4月 | これまでの領収書返信に替えて奨学生の近況報告開始 |
| 1985年(昭和60年)8月 | 修験の森の保守作業実施 |
| 1985年(昭和60年)11月 | 奨学生選考会実施。奨学予約制とする |
| 1985年(昭和60年)12月 | 「奨学生手帳」発行 |
| 1988年(昭和63年)4月 | 久枝直氏副理事長に就任 |
| 1988年(昭和63年)8月 | 三宅奨学会20周年記念祝賀会(於:養老温泉) |
| 1989年(昭和64年)8月 | 三宅奨学会貸与金を2万円に増額統一 |
| 1992年(平成4年)3月 | 三宅奨学会歓送迎会開始(於:千代田町商工センター) |
| 1993年(平成5年)12月 | 事務所を東京都杉並区松庵(三宅勇氏自宅)より練馬区関町(株式会社三滝社社屋)に移転 |
| 1998年(平成10年)4月 | 「郷土の人材育成をめざして-三宅奨学会30年史-発刊 |
| 2005年(平成17年)5月 | 事務所を東京都練馬区関町より大田区千束(三宅浩之氏自宅)に移転 |
| 2011年(平成23年)11月 | 事務所を東京都大田区千束より広島県北広島町(久枝直氏自宅)に移転 |
| 2012年(平成24年)4月 | 久枝直氏理事長就任 |
| 2014年(平成26年)4月 | 広島県所管公益財団法人三宅奨学会認可 |
| 2017年(平成29年)2月 | 三宅浩之氏逝去 |
| 2018年(平成30年)4月 | 給付を含む奨学金貸与を開始 4万円うち2万円を給付 |
| 2019年(令和1年)8月 | 修験の森整備 |
| 2022年(令和4年)4月 | 修験の森豪雨災害復旧事業 |